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節約研究①新聞代 [研究<お金>]

節約について書いてみたい。

ネット上で検索してみれば、節約に関する特集ページは多い。私も、精神的に無理のない範囲で節約をしている。節約は、やりすぎるとツライ。やはり、無理に切り詰めるような生活には耐えられないから、私にとっては、無理しないことが一番大事だ。

私が実践している節約――正確には「かつて無駄に使っていた費用の廃止」――は、大別すると、①一つあれば足りるのに2つのことにお金を払っている⇒一つは不要、②単なる無駄、③健康・ダイエットを優先すると結果的に節約になるもの、という3通りがある。

そこで、今日は、一つあれば足りるのに2つのことにお金を払わないという観点で、「新聞の定期購読料」について考えてみたい。

私は、新聞の定期購読をしていない。ずっとしていない。
新聞は「社会人になったら読むのが常識」と言われているから、私は非常識な社会人ということになる。

私が、新聞、ニュースを全く知らずに生活しているかというと、そんなことはない。①私は、主としてインターネットの検索サイト(グーグル、ソネット、ヤフー中心)の「ニュース」で見ている、②必要ならばテレビのニュースを見る、ようにしている。会社では、会社で新聞をとっているので、仕事で必要ならば会社で買っている新聞を読むようにしている。

私は、社会人になり立ての頃、日経新聞、日経産業新聞、日経金融新聞、産経新聞を定期購読していた。なぜかというと、社会人になったとき、私は夢と希望に満ち溢れていて、新聞を読むことで自分が少し立派になった気分になっていたからだ。

だが、インターネットを利用し始めたあるとき、ふと、自分が、どの程度新聞を読んでいるのか、よく考えてみた。よく考えれば、見出しで「読みたい」と感じた1割程度の記事を熟読し、もう2割程度は斜め読み、残る7割は見出しのみ、という具合だった(日によって違うが)。つまり、実質的に私が必要としている記事は、1~3割程度に過ぎないということであった。

当時、月額300円で、ある通信社のニュースメルマガを定期購読することが出来た。それを知ったとき、月に数千円も払う新聞の定期購読に魅力を感じなくなった。結局、メルマガの定期購読は止めたが、今はニュースはタダ同然で読めるし、その程度の簡単な記事で特に困っていない。

しかし、多くの人は、やはり新聞は貴重な情報源であり、今も多くの人が買っている。ただ、日本新聞協会の統計をみると、ここ10年ぐらい、発行部数は減少の一途をたどっているようだが・・・・、企業数や人口の影響かな?それとも、インターネットの影響かな。後者であれば、私にとって違和感のない話ではあるが。

新聞の定期購読料は、いろいろなサービスのことはさておくと、おおむね月4000円程度であろう。だから、年間では48,000円の費用になる。

さて、年間48,000円の費用とはどれぐらいの規模だろうか?

1年物定期で預金すると、店頭表示金利は今は0.35%ぐらいのようだ。ということは、税引き後の利息で48,000円を叩き出すために必要な預金残高は、48,000円/(0.35%*(1-20%))=17,142,857円となる。実に、1,700万円以上の残高が必要だ。

え? 実際には金利はもっと高い? 確かに、最近は、数ヶ月で1%(年利)などのキャンペーンをよくみかけるから、仮に、1年物定期が1%であったらどうなるか計算してみよう。

48,000円/(1%*(1-20%))=600万円となる。

いや待て。ここには注意が必要だ。2月頃、ある銀行の店頭でしつこく聞いてみたら、3ヶ月分の金利(年利)は高いが、3ヶ月を過ぎると店頭表示金利に戻ってしまうようだ(聞き違いだったらごめんなさい)。そうならば、この年利1%の高い金利は、年のうち1/4の期間だけだ。ということは、結局のところ、1年を通して貰える金利は、1%*(1/4)+0.35%*(3/4)=0.513%だ。

この前提でもう一度計算すると、48,000円/(0.513%*(1-20%))=11,695,906円だ。つまり、1,170万円の預金残高が必要な計算となる。計算違いだったらごめんなさい。

長くなったが、今の金利水準では、だいたい、1200万円から1700万円の預金残高が必要になる金額を、新聞の定期購読を止めるだけで確保できる。金利が高い銀行を探すより、得なのかもしれない。しかも、ニュースはネットで検索可能。テレビで視聴することも可能。会社員の方は、会社で購読している分を読むことが可能。

とはいえ、やっぱり新聞を買っていないのは、社会人として非常識だろうか・・・?


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人は儲け話に何故弱い? [研究<お金>]

(注)タイトルを変えました。

かつて「痩せる研究【4】」において、『それにしても、「ダイエット」と「英会話」と「金儲け」となると、人は、TVや本やインチキな説明を、意外と無垢に信じるものなのだ、ということを改めて痛感しました』と書いた。

1年に1、2回はこれ(↓)と同じようなニュースを見かけるような気がする。ニュースになっていないけれども、実際にはもっと発生している事件ではないだろうか。
---------------------------------------------------
真珠商法:甲府の関連会社を県警が家宅捜索  /山梨
「元本保証で高利息」。

それを聞いただけで、いかにも「嘘臭い」。

そんなうまい話があるハズがない。そう思わなかったのだろうか?

被害総額は、一部報道によれば、50億円、被害者は2000人以上とも言われている。それにしても、そんなにたくさんの人が、こんな話に乗ってしまうという事実に驚きだ。それに、投資金額も結構なものだから、「ああ、そこそこお金を持っている人たちが、被害者になってしまったのか」という感じがする。何故なのだろう。

いずれにせよ、「元本保証で高利息」などという、うまい話は存在するハズがない。ハイリターンにはハイリスクが付き物である。

おっと、わき道にそれてしまったが、この手の投資話は、「1ヶ月で10キロダイエットの新薬」とか、「3ヶ月で英語ペラペラ」なみのインチキの匂いがする。しかし、こうした投資話に絡む事件は後をたたない。絶対に儲かる株式投資だの、今回の真珠投資、不動産投資、牛、馬、金、通信などなど、投資対象のバリエーションはさまざまだが、やり口は殆ど同じだ。要するに、出資法違反である。出資法違反の意味合い、心については、また別の機会に考えてみたいが、今日は次のことに関心が沸いた。

どうしてこの手の事件が後を断たないのか。
なぜ、多くの人たちは、こういう儲け話を信じるのだろうか。

美味し過ぎる話には裏があるに決まっている。元本保証で高利息なんて、まずは、「詐欺かもしれない」と疑ってかかるのが世の常識というものだろう。それなのに全国に騙される人がたくさんいる。信じるに足る、何かがあるのだろうか。騙された人たちが、「お人好し」とか、「儲けへの欲望が強い」というだけでは説明できないのではないだろうか。

こういう詐欺を行う人たちの説得性、力の源泉は何なのだろうか。

①営業マンのプレゼンテーション能力。
 ⇒説明に何となく説得力があるのかも知れない。

②営業マンの見かけや(服装,笑顔など)、一見した人柄の良さ(もちろんウソ)。
 ⇒ 好感度の高そうな人、押しの強そうな人、信頼できそうなキチッとした感じの人が営業マンだったら・・・・。

③「●●業者としての登録を受けている」といった「嘘の権威」の存在。
 ⇒ 多くの人は、この手の投資話の業者登録とか認可のことはよく知らない。だから、適当な●●指定業者 ●●●第●●号、なんて証書を見せられると、あ、お上が認めた会社なんだな、とか思ってしまう。人はやはり権威に弱いからね。でも残念ながら権威なのか、インチキ権威なのかを見分ける方法がよく分からないのが問題か。

④実際に儲けた人(サクラ)の存在。
 ⇒ これは意外と心理的効果は大きそうだ。「私も最初は半信半疑だったんですけど、ほら、これ、私の預金通帳ですけど、毎月配当が●●万円入っているでしょう。こんな低金利な時代、証券会社を信じるより・・・・」とか言われると、信じてしまう人がいるかも。権威に加えて、実例が示されるとね。

⑤申し込みへのタイムリミットの設定
 ⇒ いろいろ人に相談したり、調べたりする時間がない。「今だけです。こんな特典がある申し込み受付は今だけ。もう申し込みが殺到しています。あとワクは2人分しかないんですよ」「今じゃないと、もう時間切れですよ」みたいな限定型営業に人は弱いからね。

などが考えられるのではないだろうか。気をつけましょう。
今日は眠いのでこれまで。おやすみなさい。


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宝くじ研究【9】当選結果 [研究<お金>]

年末ジャンボ宝くじ・・・・・

もう、どうでも良いような話しだったが、ふと思い出した。

すっかり忘れていたところだ・・・・。

宝くじについては、かなり一生懸命考えたうえで(?)、その購入を決定した経緯があった筈だ(宝くじ研究【1】【8】を参照して下さい)。

宝くじ当選金の期待値は140円台と低い。これは「当せん金付き証票法」という厳しい法律のせいだ。で、当選金の分散が大きいため、大数の法則が働くほと買った場合はともかくとして、期待値や確率を当てにすることは必ずしも合理的ではないのだ。1枚300円、10枚3000円程度で、3億円当るかも知れないというならば、損失回避的な私でも、買って大きく損した気分にはならないだろう。なら買おう。

これが正しい結論なのか定かではないが、最終的には、3000円の「夢」を買ったのだった。

だが今日まで完全に忘れていたなんて。何てこった・・・。

結局、「どうせ当るまい」と腹の底で思っていたからではないか・・・。

いや、違う。私は当選金には興味がないのだ。なぜならば、私は“無欲”だからだ。

???

少し解説しよう。

心の中で「当たれ、当たれ!」と強く念じると、ツキが遠のいてしまうかも知れない。そう考えた私は、「無欲になる」ことにしたのだ。

何故か。

それは、「無欲」こそがギャンブルを制するからだ。

すなわち、私は、「宝くじはどうせ当たらないと思っている。だが、私が宝くじ買うことで、少しでも自治体の財源確保に寄与し、困った人達の助けになるなら喜んで買おう。つまり私は無欲なのだ」と思い込もうと必死に努力した。

そうすることによって、「無欲の人間には、素晴らしい幸運が舞い降りることがある」と腹の底の皮の裏側で信じていたわけだ。

要約すれば、「宝くじが当たって欲しい」と余りにも強く思うが故に、「宝くじなんか当たるはずはないし、当たるつもりでは買っていない」という、嘘偽りの気持ちで心の表層を満たして、自己暗示をかけて、自分が無欲であるかのような錯覚を自分に施し、無欲であるかのような雰囲気造りに精を出したのだ。私が言っている意味が分かるだろうか?

誤解ないようお願いしたい。私は欲の皮が突っ張っているわけでも、奇妙に屈折している性格というわけでもない。無欲なのだ。

いずれにせよ、当たった者勝ちだ。

そんなに欲が強くて、なぜ、宝くじを買ったことを忘れたのか?って?

ご理解頂いていないようだ。
繰り返し説明しよう。

私は、無欲だから、宝くじを買ったことを忘れていたのだ。

そんな人間が、ふと思い出した拍子にくじの番号と照合してみたりすると、なんと1等が当たったりすることがあるのだ。無欲は素晴らしいのだ。

ということで、無欲な私は、今、ふと番号を調べてみることにした。

あぁ、今日まで忘れていたなんて、私は本当に欲がない人間だなあ、と独り言を呟きながら調べてみよう。

(3分経過)

(5分経過)

(10分経過)

もう、宝くじの話しは止めようではないか。

こんなもの、何の意味もない。くだらない・・・。

こんなものに夢なんかない。

無欲な私に300円しか当たらないなんて。

3000円買ったのだから、期待値は1400円程度のはずだ。

それが300円とは何事だ。

無欲なのに。

騙された気分だ。。。。

明日はいいことあるだろうか・・・

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★宝くじ研究【8】結論 [研究<お金>]

一週間以上もかけて、延々と宝くじについて書いてきた。もう本当に虚しいぐらいの気分になってきた。でも、宝くじの話はこれで最後だ。

別に私は宝くじマニアでもギャンブルマニアでも何でもないので、どうか誤解なきようお願いします。

結局、数学やファイナンス理論などの専門家の誰かが、分かりやすく解説してくれるといいテーマだと思った。どこかに、一通りの疑問に答えてくれる秀逸な本はないものだろうか? 宝くじについて書いてある本はあるにはあるのだが、どれも帯に短し襷に長し。

ところで、こんなことになったのかといえば、単に、「私は年末ジャンボ宝くじを買ったらいいのかどうか?」「どうして買うのだろうか?」ということを、一生に一度で良いから、無い頭を捻ってでも、じっくり考えてみたかったためだ。

それでどうするのか?

結局、今年の年末ジャンボを買うのか?

もう決めないといけない。

これまで考えて得られた結果を、「今年の結論」として、一応まとめておこう。

(1)宝くじは、期待値が低いからなぁ…当選確率が低いからなぁ…と思っていたが、確率や期待値の議論は、当選金の分散が大きく、大数の法則が働き難いため、余り当てにならないような気がする。

(2)大数の法則が働かないということは、実際の当選は、計算上の確率通りにいかないことが発生する。それを「夢」だと思い込んで期待しても、間違いではないだろう。

(3)つまり、「買ってみなければ分からない」のだ。

(4)さらに、私は、3000円ぐらいなら、軽く飲みに行く程度の金額だし、損しても余り痛くはない。同時に、3000円で、「もしかすると3億円が当たる」という可能性があるなら、買っても良いと思われる。

ということで、今日・・・

めでたく夢を3,000円分購入!!!

連番です(★宝くじ研究【2】バラと連番を参照)。

そうだ。買ってみなければ分からない

 

 

はぁ~、すっきりした。

今までの検討は何だったんだ????といわないで下さい。

当たるといいなぁ。。。

当たったら、レクサスLSでも買うかなぁ。

いや、私はスポーティな今のISが大好きです。

当選したら、旅行カバンや新しいYシャツやパソコンが欲しいのです。

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★宝くじ研究【7】買う理由 [研究<お金>]

これまで、かなり無理して確率や期待値の話ばかりしてきましたが、今日は、原点に帰って、人が宝くじを買ったときの気持ちに注目して、「どうして人は宝くじを買うのか」を考えてみます。

◆まず、宝くじを買ってから、当選番号が分かるまでは、どんな気持ちだろうか?

⇒ 少しドキドキ。当たるかも・・・。嬉しい。どうせ当たらないけど、当たるといいな。

◆当選番号が分かって、数千円が失われてしまったときの気持ちは?

⇒ あ~あ、当たらなかった。ま、いいか。やっぱりな。こんなもんさ。

いろいろな反応が考えられる。

ただ、①買ってから当選番号が分かるまでは楽しんでいる、②ハズレで、購入に使ったお金の大半を失っても、怒ったり、悲しんだりはしない、という傾向はあるのではないだろうか。

では、今度は、ちょっと極端なケースを考えてみたい。

■極端なケース1■

宝くじが1枚100万円1等は3000億円だったら?

あなたは、宝くじ10枚を1000万円で購入。お金がないから家を売った。それでも1等が当たれば3000億円だ。大抵のものが買える。一発大逆転の人生だ。

買う? 買わない? そりゃ、買わないという人が多いだろう。

それでも、仮に、買ったとしよう。買ってから当選番号が分かるまで、今の宝くじのように「少しドキドキ。当たるかも・・・。嬉しい。どうせ当たらないけど当たるといいな」という気持ちでいられるだろうか?

そして、当選番号が分かって、ハズレだったとすると、今の宝くじと同じように、「あ~あ、当たらなかった。ま、いいか。やっぱりな。こんなもんさ」という気持ちになれるだろうか?

それは多分全然違う、という人が多いだろう。

さすがに、1枚100万円というのは極端だが、金額が大きくなれば、100万倍の賞金が貰える可能性があっても、買う気にはなれないだろう。これが1枚10万円でも同じではないだろうか。

それならば、ということで、もう一つの極端なケースを考えてみよう。

■極端なケース2■

宝くじが1枚300円1等が3万円だったらどうする?

「買わない」と答える人が多いかも知れない。理由は「夢がない」とか、「当たっても3万円ならね」など様々でしょう。

でも、ここでは買うとしよう。

買ってから当選番号が分かるまで、今の宝くじのように「少しドキドキ。当たるかも・・・。嬉しい。どうせ当たらないけど当たるといいな」という気持ちでいられるだろう?1等2億円のジャンボくじに比べれば、嬉しさとかドキドキ感はかなり小さいものになるだろう。

そして、当選番号が分かって、ハズレだったとすると、今の宝くじと同じように、「あ~あ、当たらなかった。ま、いいか。やっぱりな。こんなもんさ」という気持ちになるだろうか?

これは難しい。人によって評価が分かれるかも知れないが、「3万円も当たらないなんて、なんというクジだ」と思う人が増えるかもしれない。

このように、儲けたり、失ったりする可能性に対して、どんな気持ちでいるかというものは、なんとなく傾向があって(絶対的な傾向ではないにしても)、それである程度宝くじを買う理由の説明がつくかも知れない。

その傾向とは、、、

【1】投資しても、あまり大きい金額は失いたくない。

 1000円、3000円、人によっては1万円ぐらいならまだ良い。しかし、何十万円、何百万円を宝くじで失うのは嫌だと思うのではないだろうか。だから、投資金額が多くなるほど「損失回避的」になるのかも知れない。

【2】小さい金額の投資で、とても大きな賞金が欲しい。

 300円のくじで、とても低い確率で当選する1等が1,000円だったら、投資するだろうか?投資する人はあまりいないだろう。

 別の観点で、1,000円の儲けと1,000円の損を比べると、1,000円儲ける嬉しさよりも、1,000円失う方が悲しいだろう。一度手に入れたものを手放すのはツライと言うことかもしれない。

 1,000円の損が生じるかもしれない賭けならば、とても大きい賞金(100万円以上とか)でないと割に合わないと思うのではないだろうか。

人は軽い消費をする感覚で買える投資をして、大きな賞金の夢を見るくじに、とても惹かれるものなのかも知れません。

人は何故宝くじを買うのか?

それは、

①「当選金が、計算上の確率あるいは期待値通りにならないことが発生し得る」ことを直観的に知っていて(★宝くじ研究【6】

②しかも投資金額は数千円~数万円程度と、居酒屋で飲む程度の、あまり痛くない額で

③一生稼ぐことが出来ないような大きな賞金(数億円)を夢見て

買うということなのでしょう

これが合理的という概念に含まれるのか否か、もはや私にはどうでも良いことのように思えてきました。

これが今の私に出せる精一杯の結論です。

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★宝くじ研究【6】パラドックス [研究<お金>]

今日は、有名な「セント・ペテルスブルグのパラドックス(St.Petersburg Paradox)」という逸話を紹介しつつ、もう一度、期待値という概念について考えてみた。このセント・ペテルスブルグという街の説明は、ここでは省略する。

この「パラドックス」とは、次のようなものだ。

コインを投げて、初めて「表」が出たときに賞金が出る。
賞金は、表が出るまでにコインを投げた回数(つまり、「裏」が出た回数)が「n回」だったら、2円である。

例えば、
最初に表が出る ・・・ 2=1円
裏→表なら   ・・・ 2=2円
裏裏→表なら  ・・・ 2=4円
裏裏裏→表なら ・・・ 2=8円

こういう賭けをするとき、掛け金がいくらなら「損しない賭け」と言えるか?

まず賞金の期待値を計算してみる。

期待値=(1/2)×2円+(1/2)×2+・・・・(1/2)×2n-1
=1/2+1/2+1/2・・・・・・
=∞(無限大)

この賭けの賞金の期待値は「無限大」となる。だから、この賭けには、全財産を投げ打ってでも参加することが正しい、という答えが出ることになる。

えぇ!?

この賭けは、1/2の確率で1円、1/4の確率で2円・・・1/4,096の確率で2,048円の賞金が貰えるというものだ。直観的に割がいいようには思えない。例えば、この賭けに1万円払って参加するか?と問われたらどうする?

計算すると、賞金が、掛け金である1万円を超える確率は、1/32,768だ。そんな低い確率でしか儲けが出ない賭けに投資できるだろうか?いやできない。

それなのに、「期待値は無限大」となるから、投資するべし、という結論になってしまう。だから「パラドックス(矛盾)」と言われている。

なぜ、こうなるのか?

直観的には、賞金がどうなるか分からない、あるいは賞金の分散(ちらばり度合い)が大きすぎることに問題があるのだろう。理屈のうえでは、コインの表が出るまで延々と投げ続けるので、「一体、いくらの賞金がもらえるのか」が事前には決まらない感じだ。だから「その賞金を貰える確率」もよく分からないという感じだ。

この例を参考にしつつ、宝くじのことを考えてみると・・・・

(1)宝くじ当選金の分散は大きい。ということは、賭ける側にとっては、「期待値という概念」が使いモノにならないかも知れない。それは・・・

(2)「大数の法則」が働き難いから。大数の法則は、例えば、コインを投げて、表が出る確率は1/2であることは皆知っている。だが、実際にコインを投げて、表が出る回数が、コインを投げた回数の1/2になるには、かなり回数が必要だという話。

  例えば、コインを4回投げたら、裏裏裏裏という具合に100%裏が出たりすることもある。しかし、何度も何度も試して、例えば、20,000回投げれば、表が出た回数は10,056回だった≒1/2といった感じになる。

(3)つまり、確率は、大数の法則が働いて初めて現実味を帯びてくるということだろう。逆に、大数の法則が働くまでは、計算上の確率と異なる現象が起きることが結構発生し得る。

(4)一人で1千万枚の宝くじを大量買いすれば、大数の法則が働いて、1等の当選確率が1/1千万であることは確かなものとなる。そして、賞金全体の期待値が、当選金の合計が購入金額の半分以下になることも確認できるだろう。しかし、それでは損してしまうので意味がない。

(5)宝くじは、当選金の分散が大きく、かなり大量購入しないと、大数の法則が働きにくい。だから、計算上の「確率」通りにならないことが結構あるし、「確率×当選金」で計算する期待値通りにならないことも結構ある

★宝くじを買う行為は、個人にとって、確率が収束しない状態で、その“揺らぎ”に賭けているようなものなので、「合理的に夢を買う」というイメージに近いのかも知れない。変かな?

ということなのであれば・・・・深く考えず、「買ってみなけりゃ分からない」と言って、ワクワクしながら買うことが論理的行動なのかも知れない。本当に、そういう結論でよいのかまだ自信はない。少し物足りない気がするが。

ところで、宝くじの主催者側は、「大数の法則」が働くぐらいの、それなりの枚数の販売(数千万枚程度かな?)ができれば、確実に5割程度は儲かる計算となる。ただ、そんなに売れないと赤字になるだろうけども・・・。

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★宝くじ研究【5】素朴な疑問 [研究<お金>]

今朝は近所の公園を娘と散歩。銀杏がすっかり色づいて舞っていた。風邪は冷たく、冬が来たなという感じ。

 ←公園です。

昼から用事があって難波(大阪です)へ。なんばパークスで買い物しました。あいにくの雨だったけど、少しだけ雨が上がったので屋上へ行ってみた。それから、2階にはクリスマスツリーもありました。もう12月ですね。

 

 

さて、宝くじですが、疲れましたね。期待値、確率だのと。

だから、今日は、ちょっと一休み。普段から感じている素朴な疑問を徒然に書いてみます。

【疑問その1】売れ残った宝くじ券で1等当選が出るとどうなるのか?

宝くじは、印刷した券が全て売れているとは限らない。すると、売れ残った券に、1等の当たり券が出ている可能性もある。

たまに「換金されなかった1等は○○件」などという記事が出ることもあるが、それは、①実際に当選した人が忘れている、②事情があって換金できない、という理由のほかに、③売れ残っている、という可能性だってあるのではないかと思う。

売れ残った券で1等が出ている場合、誰かの懐に入ったりするのだろうか?

【疑問その2】本当に3億円の当選が必ず出ているのか?

3億円の当選は、<1等>+<前後賞>という組合せが必要だ。

周知のとおり、宝くじは、連番でも、バラでも販売している。例えば、宝くじが1千万本しか販売されなかったとしよう。このとき、1等は1本しかない。

それで、たまたま、この1等がバラに含まれていたら、もう前後賞込みの3億円という当選は一人も出ない。だから、実際には3億円は、思ったより少なかったりして。

【疑問その3】販売店は、どうやって「当店から1億円が出ました」という情報を知るのか?

ご存知の通り、「当販売店から1億円」などという手書きのポスターのようなものを良く見かける。

そもそも、あの掲示の信憑性はどうなのか?あれは本当なのか? 誇大広告である可能性はないのか?誇大広告ならば、取り締まるのは誰だ?

まず、どうやって1億円や数千万千の当選をした人がいたという事実を確認するのかという問題がある。

当選した人というものは、わざわざ販売店へ報告に行くのだろうか?換金するみずほ銀行なら仕方がないが、そんなプライバシーを販売店などに知らせるか?

だが、中には報告する人もいるだろう。だが、日本全国、どこの販売店に言っても、その手のポスターをよく見かける。ということは、皆、当選した人が報告に行くことは多いということなのか?

まさか、販売した全ての券の番号控えがあるという訳でもあるまい。

さて、当選した人が報告に行くとしても、販売店が掲示している「1億円の当選が出ました」という情報が本当なのかを我々が確認するすべはない。

あれはウソかも知れないのか?仮に、販売店が、「“俺は1等が当選したぞ”と言いに来た人がいたんです」と説明しても、それを証明する手立てがなければ、誇大広告の謗りは免れ得ない。

あの掲示が誇大広告でないことを疎明するためには、「1等が、確かにその販売店から販売された券であること」を証明する資料が必要だ。

それがないならば、あれは「人集めのためのエサ」だ。本当の情報とウソの情報が混じっているとすれば厄介だ。

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★宝くじ研究【4】当選金期待値と行動 [研究<お金>]

★宝くじ研究【1】」で書いたように、宝くじ当選金の「期待値」は、投資額の半分以下だから、大半の人は損する設計だ。

 人は、なぜ損すると分かっていて宝くじを買うのか?

 実は、この「期待値」なる概念が曲者だ。

 果たして、この期待値なるもので、本当に、もっともらしく人の行動が説明できるのだろうか? いくつか例を作ってみた。

 <例1>

元手が100円、賞金の期待値が80円の賭けが2通りある。この2通りの何れかに「絶対に」賭けないといけない。

 (A)50%の確率で60円になる、50%の確率で100円になる賭け

   ⇒期待値は1/2×60円+1/2×100円=80円

 (B)50%の確率で-1,000円(支払)になる、50%の確率で1,160円になる賭け

  ⇒期待値は1/2×(-1,000円)+1/2×1,160円=80円どっちも期待値は80円。

どっちにする?

まず(A)は? 100円投資して最大で100円しか貰えないなら、100円を現金で持っている方がマシ。でも、どっちかに賭けるルールだ。ある人は、(A)は最悪でも60円は貰える。(B)は最悪では1000円の支払い。安全性を求める人は(A)を選ぶかも?

(B)は? 大きく儲けたい人は言うだろう。100円賭けて最大で100円貰うだけなんて意味不明だ。100円ぐらい失ってもいいだろう。賭けに負けても、たった1,000円の支払だ。という人は(B)を選ぶかも?

期待値が同じなのに、人によって行動が違う訳だ。そして、(A)、(B)の何れを選ぶとしても、それぞれなりに「もっともな理由」があるようだ。

更に、次のような賭けを比較してみたい。

<例2>

元手が100円、賞金の期待値が異なる2通りの賭けがある。この何れかに、「絶対に」賭けなきゃいけない。

(A)50%の確率で90円になる、50%の確率で150円になる賭け

 ⇒期待値は1/2×90円+1/2×150円=120円

(B)50%の確率で-1,000円(支払)になる、50%の確率で1,160円になる賭け

⇒期待値は1/2×(-1,000円)+1/2×1,160円=80円

見て分かるとおり、期待値は(A)の方が高い。期待値だけで考えれば、(A)が良い。(B)は期待値では損失だ。

さて、どっちを選ぶ?

(A)を選ぶ人は、最大で150円と儲けは小さいけども、財産を失う可能性は小さくて、割と確実に利益を得たい人かも知れない(安全指向

(B)を選ぶ人は、負けてもいいから、大きく勝負に出たい。100円の投資で最大1,160円貰えるぐらいでないと「賭け」じゃない、という人かも知れない(冒険的指向)。

つまり、期待値が高い・低いというだけでは、人の行動は決まらない

それぞれを選ぶ人の行動には、それぞれ「もっともな理由」があるように見える。

攻めたい人と、守りたい人の違い・・・?攻めたい人は、攻めるための論理でリスクが高い方に賭ける。守りたい人は、守りるための論理でリスクが低い方に賭ける。それぞれ最もな気がする。

ということは、「宝くじに関して、当選金の期待値が、投資額(宝くじの価格)の半分以下なのに買う」ということは、“非合理的な行動だ”と断言する行為ではないようだ。

さて、宝くじだが、期待値が低いのに多くの人が買うのは、日本国民が攻めたい人達だから・・・?

いやいや、そういう訳ではなさそうだ。

感覚的には、100円とか1000円なら攻めてもいいけど、100万円とか1000万円だと、普通の庶民感覚では攻めることは出来ない…。そういう感じ。こういう点を捉えて、経済学教科書的に「満足度(効用)」などの概念を使って説明する人もいる。ダニエル・ベルヌーイという人物が考えた理屈だ。

で、もう一度よく考えてみたい。論点は、そもそも、期待値って関係あるのかな?ってこと。

あぁ、疲れる…。学生のとき、ちゃんと勉強しておけばよかった・・・。いや、学生のときに勉強してもよう分からんかっただろう。ということで、次回は、ちょっと一休みして、宝くじ販売に関する私の素朴な疑問を書きます。

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★宝くじ研究【3】低過ぎる確率 [研究<お金>]

★宝くじ研究【1】【2】で、宝くじの当選金と当選確率、そして掛け算で算出される期待値について少し書いた。この期待値という代物は、少し使い方が難しい概念のようなので、今後、少しずつ解釈について書いて行きたいと思う。

で、今日は、ちょっとコーヒーブレイク的に、宝くじの当選確率のレベル感を、もう少し実感が持てないか、考えてみた。

考えるべきは、ずばり、1等が当選する確率。これは1千万本に1本。
「宝くじも買わなければ始まらない」「買わなければ当たらない」などと良く言う。それは事実ではあり、誰かが当たる。では、この1千万本に1本という確率は、どれぐらいのものなのか?

1千万という数字が大きすぎて実感が湧かない。

何かないかな、と思ってふいに人口統計を見てみた。
都道府県別の人口を多い順に見ると・・・(2005年国勢調査より)
東京都・・・1257万0904人
大阪府・・・ 881万7010人
神奈川県・・ 879万0900人
愛知県・・・ 725万4432人
埼玉県・・・ 705万3689人
千葉県・・・ 605万6159人
北海道・・・ 562万7424人
兵庫県・・・ 559万0381人
福岡県・・・ 504万9126人
これぐらいでいいでしょう。出てこなかった都道府県在住の方、すみません。

一人が1枚ずつ買うと、大阪府や神奈川県や愛知県では、一人も当たらないこともあるわけだ。なぜなら、人口が1千万人を切っているから。

東京都は人口が1千万人を超えているので、1人は当たる、あるいは場合によっては2人が当選するかもしれない。でもその程度。

もちろん、これは一人1枚買った場合なので、実際とは違う。それでは、日本人が、全員一人10枚ずつジャンボ宝くじを買うと、何人が1等に当選するか、計算してみたい。

①日本人の人口=1億2775万6815人(2005年)
②一人当たり購入枚数=10枚(例えばの話)
③総販売枚数(①×②)=12億7756万8150枚
1等は1千万本に1本なので、③/1千万=127.8人

127人としましょう。こんなの単なる割り算なので当たり前のことですが、少しは実感が持てるのではないかと。

1億2775万6815人が一人10枚ずつ買って、1等が当たるのは127人。もちろん、ゼロではない。でも、1億2775万6815人が宝くじを買って、1億2775万6688人には1等が当たらない。要するにハズレ。

中学、高校、大学受験などで、10倍(10人に一人)、100倍(100人に一人)といった競争倍率を経験された方もいる。そして、その競争に勝ち残れなかった人も多いはず(だって、10倍は10人に一人しか合格しない、100倍は100人で一人しか合格しないのだから)。

この1等は1千万倍だ。つまり10,000,000倍だ。ゼロが多い。

もう通常の感覚ではイメージできないほど小さい確率だ。

これは「夢」というには、あまりに遠い感じがする。ニンベンを足して「儚い(はかない)」の方がしっくりくるぐらい。「夢を買う」というより、「“儚き”を買う」という感じもする。

それでも、人は宝くじを買う。何故なのか?

今度は、宝くじを買うという行為が「合理的」「理にかなっている」と言えるものかどうか、考えていきたい。

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★宝くじ研究【2】バラと連番 [研究<お金>]

宝くじ購入について、私の友人達に聞くと、人によって、連番派バラ派混合派に分かれる。

バラ派に聞いてみると、連番では、一枚目を見たときに、「下一桁の300円以外は全部ハズレ」と分かり、楽しみが小さい、ということのようだ。そして、「1等+前後賞の3億円よりも、そこそこ当たるかも知れないバラを買う」という、分かるような、分からないような人もいる。

連番派は、「自分は3億円狙い、1等+前後賞狙いだから、連番で買う」という人もいる。その方が夢があるということのようだ。

もちろん、こういうことは個人の自由、好き好き、好みだ。

宝くじに関しては、前回、「★宝くじ研究【1】法律と期待値」で、当選金の期待値、宝くじに関する法律、主催者側の暴利(?)について書いた。今日は、この連番とバラについて、確率的にどのような違いがあるかを書いてみる。

連番とバラには、当選金が当たる確率と当選金から得られる期待値に違いがあるのだろうか?

ちなみに、先般の一般的なジャンボの例では、1等の当選金の期待値は2億円×1/1千万本=20円でした(★宝くじ研究【1】法律と期待値を見てください)。これに前後賞2本(各5千万円)を勘案すれば良い訳だ。話をわかりやすくするために、1等と前後賞のことだけ考えましょう。

(1)まず、連番で買うと・・・

連番だと、1等に前後賞2本(各5千万円)がセットでついてくる場合を考えればよいので、1千万本のうち、1本だけ3億円(1等+前後賞)の当選があるクジを同じと考えれば良い。つまり、3億円×1/1千万本=30円が前後賞を含めた連番における当選金の期待値となる。

(2)次に、バラで買うと・・・

1等は当選しなくても、前後賞2本(各5千万円)がバラバラに(独立に)当選する可能性もある。前後賞の当選金の期待値は、5千万円×1本/1千万本=5円です。ということは、バラで買った場合の期待値は、1等の期待値(20円)+5円(前)+5円(後)=30円が期待値となる。

これを見て分かる通り、バラで買っても、連番で買っても、当選金の期待値は全く同じなのです。ということは、連番、バラのどちらに、より大きな夢があるという訳ではないということになります。

強いて言えば、私の友人達が言う通り、連番は、「もしかすると前後賞込みで3億円が当たるかも知れない・・・」という「夢」と、最初の1枚目を見ただけで、10枚のうち下一桁以外の9枚がハズレと分かってしまう「儚さ」が同居していると言えるかもしれない。

一方、バラの場合には、1枚ずつ番号を調べる楽しみ――「これは当たっているかも知れない・・・」「次は当たっているかもしれない・・・」という期待を、一枚一枚かみしめることができる。そういう「夢」に胸が踊らされる時間があるのかも知れない。しかし、全部ハズレだと、番号を一生懸命チェックした時間が金銭的には無駄になってしまうという「儚さ」もあるかも知れない。

私は、もし宝くじを買うなら、当たる確率、期待値が同じなら、ハズレならハズレと、すぐ分かる連番の方が番号確認の手間が省けてよいのかな・・と思います。

皆さんは、連番派? バラ派? 混合派? それとも買わない派?

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