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蚊に刺されて [研究<医療>]

庭でちょっと歩いて部屋へ戻ると、あっというまに恐ろしいほどたくさんの箇所を蚊にさされていました。どこが痒いのかもわからないくらいたくさんの場所を刺されました。蚊に刺されると、なんでかゆくなるんでしょうね。

ネットで調べてみたら、蚊は、血を吸うときに、人間に唾液を入れるそうです。その唾液は、痛みを和らげる効果と血が凝固するのを防ぐ効果があるということです。すごいですね、よくできています。痛みが和らいでいるので、刺されていることに気づき難いということでしょう。また、血が固まらないので吸えるということなのでしょう。で、この唾液に対するアレルギー反応でかゆくなるということのようなのです。

じゃあ、アレルギー反応をどうやって抑えたら良いのでしょうか。抗ヒスタミン剤と書いてあるページがあるのですが、つまりはムヒとかですかね。うちもムヒがあったのですが、なくなってしまっていました。そこで、傷みたいなものだし、掻かないようにしないといけないからといって、バンドエイドを刺された箇所に貼ってみたら、なぜか、痒みが消えました。驚きです。

でも、刺されたところに何かを貼れば痒みがおさまるならば、空気とか酸素と関係あるのだろうなという気がします。そして痒みの原因がアレルギー反応だということなら、空気か酸素に触れないようにすることが、蚊の唾液が何らかのかたちに変質しないことでアレルギー反応が抑えられるか、アレルギー反応自体が空気や酸素と密接な関係があって、それが空気または酸素に触れないことで抑えられるか、どっちかなのかなと考えています。ちょっと分かり難いですが。

とりあえず、納得のいく説明がまだ見つかっていないのですが、wikipediaで蚊を調べてみたら、「 唾液は本来、吸引した血とともに蚊の体内に戻される。血液を吸引し終われば、刺された箇所の痒みはさほど感じることはない。何らかの理由で吸引を中断し飛び立った場合、唾液を刺された体内に残したままであるため、痒みが残る。蚊を叩き落す際、上から潰すと唾液が体内へ流れ込むため、指で弾き飛ばすと、痒みを抑えることができる。」とありました。

蚊の唾液が原因で痒い。でも蚊は吸い終わると唾液を回収する。だから蚊が血を吸うに任せ、満足させれば痒くなくなるということになります。そして叩くよりも指ではじきとばすと痒みを抑えることができるということで。蚊が刺している姿をみつけて、それを放置するのは精神的につらいですが。それを試してみましょうか。

蚊に刺されても吸うに任せてあげれば、痒くならない。愛があれば痒くないということでしょうか。で、我慢できなければ出来るだけ指ではじく。蚊が吸血を中断してしまったら、絆創膏を貼る。絆創膏がなければ抗ヒスタミン剤を使う。ってなことでしょうか。もう少し調べてみたいと思います。みなさんはどうされていますか?






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マスクってどうなのよ? [研究<医療>]

もうブログは更新しまいと思って数か月も経ちました。それなのに、新型インフルエンザでわけのわからない話が世に出回っているので、おもわず書いてしまいます。

マスクは効果があるのか否か。

ないようです。N95とかいう凄いマスク。してみると息が苦しい。

ってことは、マスクからは、なかなか空気が入らない。息が苦しい。

ってことは、たとえば鼻の横に、マスクと顔に隙間があったら、殆どの空気はそこから入ってくる。

ってことは、ウイルスが入ってくる。

アメリカのCDCはマスクには効果がないと言っている。手洗いが大事だと言っている。

日本の厚生労働大臣は、マスクと手洗いを励行せよと言っている。マスクはどこでも売り切れてる。

マスクが、いったい、どういう効果を発揮するのか、はっきりさせるべきだろうね。

新型インフルに感染した人は、マスクをする意味があるけども、予防したい人にはほとんど効果がないならば・・・・・・・・今の話はなんなんだろうね。

ところで、新型インフルは弱毒性だから、通常のインフルと同じでいいって言う人がいる。じゃ、新型で、死亡確率が圧倒的に高い妊婦は、どうなるのでしょうか。言及すべきである。厚生労働大臣と大阪府知事は。

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喘息と免疫 [研究<医療>]

喘息に関するニュースがありました。喘息の原因となる「悪玉細胞」がマウスで発見されたということです。

実は、私は子供のころからアレルギー性喘息があり、結構、辛かったので、こういう研究が進むことを願います。一人でも、喘息の子供が発作から解放されて欲しいと願います。

子供のころは病弱で、喘息の発作がよく起きました。夜、発作が起きると、なぜか座っていないと呼吸が困難になって、苦しいんですよね。もちろん、座っていても苦しいんですが。だから、布団を何枚も畳んで、その畳んだ布団を背もたれにして座り、その姿勢で夜を越しました。

あの感じは、今でもよく覚えています。横になると、なぜか息が余計に苦しくなるんですよ。あ、このまま眠ったら死ぬかも、と思ったことも何度もあります。呼吸なんて、多くの人は無意識にしていますが、喘息の発作がおきると、そうはいかない。呼吸のたびに、ぜいぜい、ひゅうひゅう、と凄い音がするのですが、これは気道がとても狭くなっているためで、思うように息が入ってこないんですよね。

とくに酷い発作のときは、自分の力でしっかり息を吸い込んで吐き出さないといけない感じなんですよね。とにかく苦しいし、頑張らないと死んでしまうかもしれない、というのが怖くて眠れない。朝方になると、少し治まってきて、疲れて、ようやく眠る、そんな感覚でした。苦しかったです。

親から見ても、手のかかる子だったでしょうね。よく病院へ運ばれましたし。発作のときは、眠れない私につきあって、朝まで背中をさすってくれてましたね。今では、自分が子をもつ親となって、そのとき親がどういう気持であっただろうか、ということが何となく分かります。

ところで、このニュースでは、「免疫を高める役目の「ナチュラルキラーT(NKT)細胞」の一部が、気道に炎症を起こす物質を作り出していた。」ということです。アレルギー反応って不思議だと思います。人間の身体を守るはずの免疫が、逆に、過剰反応して身体を痛めるんですよね。免疫機能のバランスが崩れたということなのでしょうか。

免疫といえば、かつて、「はしか、ブースター効果は何処へ?」という記事を書いたことがあります。このブースター効果というのは、予防摂取を行って抗体を得るが、その抗体は時間とともに力が衰え、ウイルスに再感染することもある。とはいえ、衰えても抗体はあるので、感染しても重い症状にはならない。ただ、感染を繰り返していくと、抗体がどんどん強くなる効果があるというものです。ブースター効果とか、追加免疫効果と呼ばれています。言い換えれば、ブースター効果は、同じウイルスで刺激、感染すると、それが強い刺激となって、より強い免疫力が得られるということなのです。三種混合や日本脳炎の予防接種は、このブースター効果による免疫力の増強を目的に、追加予防接種を行うわけです。

さて、この話を広げて考えると、あるショックがあって、それで免疫が強く反応したとします。そのあと、そのショックがまた加わると、その追加免疫効果によって、その免疫というか、抗体がさらに強く反応する。つまり、免疫力が強まる。この効果は、予防接種のように、ウイルスに対しては、抗体を強くするといういい面がある一方、アレルギーとしては、より激しく免疫が働いてしまってひどくなる、というふうに考えることもできるのでしょうかね。

私は専門家ではないので、免疫とか、抗体とか、アレルギーとか、ブースター効果を抽象的に結びつけて考えてしまっていますので、間違った理解なのかもしれませんが、人間の体を守る「免疫」なるものも、「諸刃の剣」(首相、これ読めるでしょうか、なんてね)かも知れません。



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胃カメラと「ぁ」と絶望と [研究<医療>]

先日、胃が痛くて、胃カメラ検査をしましたので、今日は、胃カメラ検査について書きたいと思います。

私が胃カメラ検査をするのは、これで2度目です。

初めて胃カメラ検査をしたのは、2年ほど前のことでした。

仕事が多忙を極めた後、夜通し腹部に激しい痛みを覚えたため、消化器系内科で診察を受けたのです。実は、バリウム検査は既に経験があったのですが、胃カメラを飲むのは初めてでした。最初は、「バリウム検査もいいけど、話のタネに、胃カメラも一度は飲んでみるべきかな」 そんな程度の感覚でした。

その前年、私は胃が痛かったので、バリウム検査を受けました。最初、小さなコップに入ったバリウムを飲まされました。「なぁんだ、これぐらいのことか」と思いました。そして、炭酸の粉末を飲まされました。すると、左手付近にビッグサイズのコップが置いてあり、その中に大量のバリウムが入っていることに気づきました。

そのビッグサイズのバリウムを全て飲むよう指示されました。一口飲んで、絶望しました。マズい。その病院のバリウムには味もなにもありませんでした。不味い・・・。半分までは飲みましたが、それ以上は吐き気がして飲めません。「頑張って飲み込んでください」と言われ、少し飲んで、限界に達します。結局、私は、1/4も残して、「これ以上は飲めませ、おぉぅえぇぇっ! おぇぇっ!」と涙ながらに訴え、それ以上飲むことを拒否することに成功したのです。

私は、バリウム検査というものについて、世界を席捲する日本の製造業技術を駆使した「動くベッド」と「動くカメラ」があって、ベッドに寝ていれば、自然と撮影されていくものだろうと想像していました。しかし、自ら横になったり、うえを向いたり、回転したりと動かなければならなかったのです。そこには、私が想像していた“ジャパニーズ・テクノロジー”は見受けられませんでした。こんな風に動いている姿は人には見られたくないなぁ、という少し恥ずかしい気持ちになりました。

と、問題の瞬間がやってきました。

動いているうちに、ゲップが大量に出てしまったのです。

がぁぇぇぇぇえ!

まあいいや、と思っていたら、検査やり直し。深い絶望が訪れました。

さて、バリウム検査の話はこれぐらいにして、胃カメラを初めて飲んだときのことです。全く別の絶望を見ることになりました。喉の麻酔、筋肉注射による胃の活動抑制など、ここまでは何の問題もありません。そして、ベッドに横になります。なるほど。バリウム検査のように、動かなくて良いし、ゲップを我慢する必要もない、そして検査後翌日にかけての“ベン”を気にしなくても良い、というのも、メリットだ。

ですが、口にプラスチック製のマウスピースをはめられ、口元に容器を置かれ、「涎(よだれ)は、ここにそのまま垂れ流してください」と言われたときから、雲行きが怪しくなりました。そして、目の前をみると、意外に太いのです。鉛筆より細いだろうという予想は脆くも崩れ去りました。最近は、鼻から入れる胃カメラもあるぐらいなのに・・・。

問題は、食道の通過です。最初です。

先生が胃カメラを何の躊躇いもなく入れてきました。

すると、身体が勝手に・・・・

うっ、うぅぅっ、お、お、おっ!

と拒絶反応を示し始めます。

「苦しいのはここだけですから、頑張ってください」

そんなこと言われても、頑張りようがないのです。
身体が勝手に反応するのですから。

おおおぁっ! おっ! あぁぅぁ!

口にマウスピースをはめられているので、言葉になりません。

「○○さん、身体の力を抜いてください!」

おぉっ ぉぉあおぉうぉ!

そして、胃カメラが食道を通過すると、ようやく楽になります。

これが初めての胃カメラ体験でした。今回は2回目です。苦しみも悲しみも、全て知った上での2度目の挑戦なのです。

もう、全ての手の指先が、まっすぐに伸び切っててしまう醜態は晒しません。

爪先や膝を、バレリーナのように、ピンと伸ばしたりしません。

貞子のようなカッと見開いた目になることもありません。

声も出しません。私は2度目なのです。

さあ、来い。

おおっ、おっ おっ おおおおぅぁ!

あおぅっ おおっ! おぉぉぁっ!

「○○さん、力を抜いてください。苦しいのは今だけですから」

お、お、おぉぉぉぉぉっ!

おっ

おぉぉおおぉぉおぉおぉ・・・・

少し楽になりました。全身に力が入ったうえに、声を出してしまいましたが、このときは、もう、私にとって、そんなことはどうでもよくなっていました。胃カメラが食道を通過したのです。42.195キロを完走したマラソンランナーのような高揚感が私を包みます、っていうのはウソですが。

しかし、そんな達成感を絶望の淵に陥れる、とても小さな先生の声が聞こえました。

「ぁ・・・」

!!!

私は、心の中で叫びました。

「先生、“あ”とは何でしょうか? 聞こえましたよ! 今、先生は、“あ”と言ったでしょう! 何か見つけたんですか!? 胃潰瘍ですか!?  ガンですか!? 先生ーっ!!!!?」

ですが、私の心の叫びは先生には届きませんでした。

私は胃の表面を映し出すカメラを必死に目を凝らして見ましたが、何がどうなのか、胃カメラが食道を通過したときに、かすかに目に溜まってしまった涙が滲んでいてよく見えません。

先生は、写真を何枚も何枚も撮影しています。

私は恐怖のどん底に落ちました。42.195キロを走り抜いたと思ったら、4.2195キロだったことを知ったときのような絶望感です(そんなアホはいないでしょうな・・・)。

結局、胃潰瘍の手前というか、表面が荒れた状態になっていたのでした。

後で先生が丁寧に説明してくれたので、安心したのでした。

今は、胃薬を毎日飲み続けています。

ストレスを溜めない生活。それが今の目標です。


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脳死研究【2】不可逆的な・・・ [研究<医療>]

脳死研究【1】では、臓器移植法における脳死の定義を若干紹介した。

そして、その臓器移植法 第六条第二項で次のような定めがあることも紹介した。

『前項に規定する「脳死した者の身体」とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう。』

この「全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された」という部分が非常に難しいことは既に述べたとおりだ。

「全脳の機能が停止した」ではない。
「全脳の機能が停止するに至った」ではない。
「全脳の機能が不可逆的に停止するに至った」でもない。
「全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された」なのだ。

全脳の機能停止は、いわゆる「植物状態」とは違う。この辺の解説は、専門のHP等にゆだねることにしたい。

ここで問題にしたいポイントは、「不可逆的」という概念だ。

(注意) あ、予め断っておくと、私は医療の専門家でも何でもない。ただ、この問題を考えてみた、そして法律を読んでみた、という人間に過ぎない。法律の専門家でも医療の専門家でもない。したがって、以下に記していることには間違いがあるかもしれないので、そのときはごめんなさい。正確なことは、ネット上で専門家のページを検索して調べるなり、専門家に聞いて下さい。

 

従来、「死」は「三兆候説」で判定されてきた。この「三兆候説」も、「死が不可逆的であること」と判断する方法であったといえよう。

「不可逆的」とは、「もとに戻れないこと」だ。
だから、三兆候説は、言い換えれば、「今は死んでいないかもしれないが、死んでしまうことは間違いない状態」という意味だ。だから「三つの兆候」というのだろう。

不思議ですな。死んでいないけれども、死んでしまうことは確実(=不可逆的)なので、死んだと判断しよう、そういうことになる。だから、死という概念が二重の意味を持っていることになる。本当の死と、死んでいないが死んだとみなす死、だ。

ところで、「三兆候説」とは何か。

それは、心臓の停止(心停止)、呼吸停止、瞳孔拡散(対光反射の消失)の3つの「兆候」が現れると、人間は「死が不可逆的」であると判断される。

よくドラマでも使われるシーンを思い浮かべていただきたい。

医者が呼吸停止を確認して、脈拍を確認して(心停止の確認)、小さなペンライトのようなもの(懐中電灯の小さいやつ)で瞳孔の状況を確認して「ご臨終です」というシーンだ。あれが、3つの兆候に基づく死の判定である。

さて、ここまでで分かってきたことは、「死ぬ前であっても、死んだと判定されることがある」ということだ。分かり難いが。で、問題は、どうやって、いつが「不可逆的になった」と判定できるか。その点を明確にしないと、重大な問題に発展する。

たとえば、死が不可逆的であることを正確に判定しないで、生命維持のための処方を止めれば殺人の可能性もでてきてしまうからだ。この問題は、脳死だろうと、三兆候説だろうと同じである。不可逆的であることの証明が問題となる。

そして、この不可逆的である状態とは、絶対的なものではなく、「まれに例外(生き返ってしまう)があるかもしれないが、殆どの場合は死へ向かって不可逆的である」という状態だからやっかいなのだ。

もう随分と前になるが、私は親を亡くした時、この問題をしばらく考えていた。私の親の死を医者から告げられたとき、「私の親は、本当に死んでいるのか」「実はまだ生きているのか」「本当はまだギリギリ生きている(例えば、こちらの声は聞こえている、みたいな状態)のに死んだと判定されたのか」などを考えていた。

家族の心情としては、「死んでから死んだと判定してもらいたい」のに、どうして兆候で死と判定するのか、どうして万に一つはよみがえる可能性があるかも知れないのに、不可逆的と判断するのか。なかなか受け入れるのは苦労する。

いや、不可逆的だから、万に一つもよみがえることはないのだよ、と思っただろうか。そのまま生きた実例が報告されているから問題なのだ。

では、今日はこれまで。また、機会があったらこの問題について書きたいと思います。書かないかもしれません。テーマが重たすぎるので。ここは息抜きの気楽なブログのつもりですから。

では、おやすみなさい。

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痩せる研究【5】踊り場 [研究<医療>]

それが明らかな兆候となって私の心の暗雲をもたらしたのは、つい最近のことだ。

「限界効用は逓減する」

そういうことか・・・ やはり、そういうことだったのか・・・!

いや・・・違う。

逓減。そんな生易しいものではない。

有り体に言えば「停止」だ。変化の停止。

覚悟はしていた。あの時と同じだ。あのとき、私が逃げたのは、停止したくなかったのだ。逃げる方向はどこでも良かった。ただ、止まってはいけないという強迫観念だけが私を支配していた。止まれば、終わりだ。

停止。それは、私が最も恐れていた状態だ。

そう。私は、今「踊り場」に立っている。

「踊り場」

江戸時代は、真直ぐな階段又は梯子段しかなかったため、「踊り場」というものは存在しなかったらしい。それが、明治時代に西洋建築と供に伝来 したのが「踊り場」という説がある。ドレスで着飾った麗人たちが、折れ曲がった優雅な階段を上り下りする時に、舞台で踊っているかのうように見えたので、「踊り場」と言われるようになったとのことだ。真偽は定かでない。

ま、意味不明な冗談はさておき、今、私が言う「踊り場」というのは、体重減少が止まったことを指す。

夏場からダイエットをスタートし、今は11キロ減少したところで止まっている。

あと、8~9キロは落とす必要がある。体脂肪率も、13%を切るのが目標であるが、現在は19%であり、全然駄目だ。ここから先が一番大事なのに、なかなか前へ進めない。友人たちからは、もう痩せる必要はない、ちょうどいい、と言われることもあるが、納得できない。

この原因は、分かっている。

ストレスだ。ストレスが飲食量の増加をもたらしている。特に、ビールとつまみが激増している。私はつまみなしでは酒を飲めない。だから最悪だ。睡眠不足、ストレスが、ある一定レベルを超えると、飲んで食べてしまう。

それでも体重、体脂肪とも悪化はしていないから、なんとかなっているが、目標への到達は遠い。

景気は踊り場を脱却し、息の長い拡大が続いているらしい。
私の肉体は、踊り場入りし、息の長い縮小がストップしている。

踊り場を脱却する妙案はないものだろうか・・・・。
ないだろう。では、ビールを飲むのをやめます。

今日はこれまで。おやすみなさい。

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脳死研究【1】 [研究<医療>]

先日、51例目の脳死移植が終わったというニュースがありました
この記事をみて、少し脳死について考えてみた。
脳死とは何か?

この問題は、私のような素人、一般人からすると、非常に分かりにくい。

「死」という問題は、私が生き物である以上、必ずいつかは遭遇することだから、とても関心はある。関心はあるけれども、専門知識がなさ過ぎて分からない。考えてみたのだが、この問題の分かり難さの原因は、次の2つが大きいのではないだろうか。

第一に、「人の死の定義」の問題、つまり「脳死は人の死なのか」という問題が分かり難いのだ。

第二に、「脳死とはどういう状態を指すのか」という問題が分かり難いのだ。

振り返れば、この脳死の問題が議論されたのは、「臓器の移植に関する法律」(平成9年7月16日法律第104号)---「臓器移植法」と呼ばれている---の成立に向けた過程であったと思う。

この法律は、臓器の移植によって「人の命を救うこと」を法的に整備するために、臓器を提供する側に立つ「人の死が何か」を法律的に整理、明確化しようとするという難しい、複雑な問題をはらんでいる。

あ、私は医療の門外漢であるから、もしかしたら、書いていることが検討違い、間違っているかも知れない。そのときはごめんなさい。どこか信頼できる専門的なテーマを扱うホームページを参照してください。

私の理解では、この法律の制定は、「死んだ(とみなす)人からの臓器の提供を受けられる」ようにしたのだが、「細胞が完全に死滅してしまっては、臓器も死んで移植できない」ので、「臓器は死滅していないギリギリの状態」を法律的に「人の死」と定義して、移植をやり易くしたようにも読めなくもない。違うだろうか?

どうしてそう思ったのかというと、さっき紹介した臓器移植法を読んで、そう思ったのだ。まず、その第六条を読んでみたい。こう書いてある。
----------------------------
(臓器の摘出)
第六条
 医師は、死亡した者が生存中に臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないときは、この法律に基づき、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。
----------------------------
ここでは、何を言っているのだろうか?

この第六条第一項では、「死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)」という用語の定義がある。

これは、立法テクニックとして、用語の定義をカッコ内に記しているところなのだが、とても重要な点に見える。

これは、「この法律で言うところの“死体”という用語の意味には、“脳死した者の身体”を含むと定義するよ。以下の条文ではそういう意味で死体という用語を使うから、覚えておいてね」と書いてあるわけだ。言い換えると、この法律では、「脳死という状態になったら“死んだ”と定義する」と定めているわけだ。

◆ポイント①◆
この法律では、「脳死は人の死だ」と定義した。ただ、この条文を見る限り、「人の死」に関して、死生観だの、生きること、死ぬこと、という概念の本来の意味を深く考えてはっきりさせるつもりはなく、あくまで「臓器移植を行うにあたって、臓器提供者の死という状態を法律的に定義した」と読める。

それでは次に、この第六条の第二項を見てみよう。
---------------------------
 2 前項に規定する「脳死した者の身体」とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう。
---------------------------

これはどういう意味だろうか?

脳死は、「脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された」状態としているところがポイントだろう。ほんとうに難しい文だ。

脳幹とは、とりあえず、脳の神経が集まった場所と考えよう。

で、問題は「全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された」だ。全然分からない。

「全脳の機能が停止した」ではない。
「全脳の機能が停止するに至った」ではない。
「全脳の機能が不可逆的に停止するに至った」でもない。
「全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された」なのだ。

キーワードは、①「全脳の機能」、②「不可逆的に停止する」、③「判定された」の3つではないかと思う。

ということで、長くなってしまったうえ、私は多忙で余りに疲れて眠いので、この問題については、また改めて書くことにしたい。いつになるかは分かりません。中途半端な記事になってしまってすみません。

おやすみなさい。

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睡眠研究【2】昼寝万歳! [研究<医療>]

今日も、「日本睡眠学界」HPの「睡眠科学の基礎」(井上 昌次郎 前・東京医科歯科大学生体材料工学研究所)について書こう。初めに断っておくと、私は医療や医学の世界とは無縁の素人で、睡眠に高い関心を持っている一般人である。

実は、私は、夜更かし、夜型、慢性睡眠不足であるため、会社の自席でときどき眠る。とても深く眠る。2時間程度は眠る。これは社会人になってから、ずっと同じだ。つまり、私はグータラ人間だ。

だが、私にも言い分がある。それは単なる言い訳にしか聞こえないかもしれないが、「眠った方が能率が上がる」というものだ。眠いのを我慢して起きて仕事しているフリをしている者がどれほどいることだろうか・・・。なんて、私の能率がもともと低いこと棚に上げているのだが。

いずれにせよ、私は「昼寝万歳主義」なのだ。

そういう問題意識をもって、「睡眠科学の基礎」の次の文をよんだ。

 『私たちは日中ずっと勤勉に起きていて、眠りを夜間に連続してとるのがあたりまえと思っている。この眠りのパターンは、一部の文明社会で働いたり学んだりしている限られた人たちだけが実行しているもので、かなり特殊なものである。しかもこの眠りのパターンは、自然な生理的欲求を抑圧して、文化ないし社会の規律を強制する人為的なものでもある。』

⇒⇒ そう、昼間、寝ないで仕事することは特殊なことなのだ。自然な生理的欲求を抑圧しているのだ。人為的なものなのだ。「そうだ! そうだ!」

『 幼児期の習慣であった昼寝は、学齢期になると許されなくなる。社会で働く人々についても同様である。自宅での昼寝はともかく、学校や職場での昼寝や居眠りは悪徳だとする考えがわが国では普遍的である。昼寝を休息の必要性のあらわれとして社会が容認するかどうかで、成人の睡眠パターンに昼寝が組み込まれるかどうかが決まってくる。人間の眠りは生理的な欲求よりも文化的拘束面のほうが優先するのである。』

⇒⇒ 私の場合には、睡眠は、文化的拘束面よりも、生理的な欲求が勝るようだ。

 『多くの文明国で昼過ぎの眠気に逆らって仕事をすることによって、能率の低下にとどまらず、判断の誤りや交通事故などがこの時間帯に多発している。もちろん、主睡眠期の夜間にむりして働く場合には、さらに深刻なさまざまな問題が発生する。これらの現象は自然の原理を軽視したつけであろう。』

⇒⇒パチパチパチ!

⇒⇒睡眠の研究と、それを広める努力が遅すぎる! もっとはやく、この考え方を世間に広く浸透させてほしいものだ。

ということで、今日も私は1時間ほど仕事場で眠ってしまったのでした。眠気を堪えて無理して働くよりも、さっぱりした感覚ですっきり働けました。って本当なのか?

私の昼寝が、単なる現実逃避なのか、それとも、能率アップのためなのか、現段階では判然としない・・・・。

ってなことで、今日もまた午前3時です。昼寝のことを考えるよりも、夜にもっと早く眠った方がいいのだが・・・・。それではおやすみなさい。

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睡眠研究【1】眠すぎる・・・ [研究<医療>]

眠い。あまりにも眠い。結局、昨夜は殆ど眠れないまま仕事へ。朝方5時頃に宇宙飛行士による傷害事件のニュースに関する記事(→宇宙飛行士恐るべし)を書いたが、殆ど意識朦朧だった。もう限界だ。

ということで、今日は、限りなくゼロになった気力を振り絞り、「眠ること」について、少しだけ書くことにした。

あまりに眠くて眠くて眠くて眠いので、「日本睡眠学会」のHPで「睡眠科学の基礎」(井上 昌次郎 前・東京医科歯科大学生体材料工学研究所)を読んでみた。

この資料によれば、『古くから「睡眠とはなにか」と問われているが、いまだに満足な答えはない。それは「生命とはなにか」という問題に満足な答えがないのと同じである。』とされている。つまり、睡眠とは一体何なのか、本質的なことまでは、まだよく分かっていないということのようだ。

それでも、脳科学的には相応に分かっていていることもあるようだし、今後、睡眠に関する研究が飛躍的に進化していくことを、昼寝大好き、夜型人間の私としては非常に期待している。

それはそうと、とりあえず、現時点での私の最大の関心事は、「深く眠りたい! その方法は?」なのだ。そんなことが書かれているわけないか、と思って読み進んだら、このテーマに関して、重要なことが記されていたので紹介したい。原文をそのまま掲載すると、長いので、少し私なりに要約してみた。間違った解釈をしていたらごめんなさい(日本睡眠学会のHPで直接確認して下さい)。

 

【1】睡眠には2つの基本法則がある。第1の法則は、1日を単位とするリズム現象で、「概日性の調節方式」とか「時刻依存性の調節方式」と呼ぶらしい。第2の法則は、先行する断眠時間の長さにより、睡眠の質と量とが決定されるというもので、これを「時刻非依存性の調節方式」とか「ホメオスタシス性の調節方式」と呼ぶらしい。

【2】第2の法則に、「先行する断眠時間の長さにより、睡眠の質と量とが決定される」という表現がある。ここにピンときた! これは、私が、今、この瞬間、最も関心あるテーマではないだろうか?そこで、第2の法則を見てみると、とても素晴らしいことが書いてあるので、長いけどそのまま引用しよう。

★★★『眠らずにいる時間(断眠時間)と睡眠欲求とのあいだには強い相関関係があって、断眠時間が延長するにつれて、眠気は直線的に増大する。なにはともあれ眠りたくなり、自力で覚醒しつづけることは不可能となる。そして、断眠後の睡眠には,不足量に応じて睡眠が質的にも量的にも大きく変化し、いわゆる「はねかえり現象」が出現する。連続して覚醒していた時間すなわち断眠時間が長いほど、深い眠りが多量に出現する。これは熟睡と呼べる状態の眠りで,寝入りばなの数時間のうちに最も優先的に配分され、睡眠不足の埋め合わせに大きな役割を果たしている。つまり、断眠で生じた眠りの損失分が一定の方式で埋め合わされることになる。』

どうだろうか? 人間の身体というものは、本当に素晴らしい。

人間万歳!睡眠万歳!だ。 睡眠不足を事後的に補うように、「はねかえり現象」として深い眠りが多量に出現するのである。ということは、私は今夜、極めて深い眠りを多量に実現することになるのだ。深い眠りがどんなものかさっぱり分からないが、とにかく元気になれそうだ。

【3】ただし、眠りの先取り=「寝だめ」はできない。さらに、この法則が「寝過ぎの害」をもたらすことにも注意が必要だ。熟睡は事前の必要量から割り出され、その量は寝入りばなの3時間ほどのあいだに優先的に実現する。だが、必要量が満たされると、もうそれ以上はほとんど熟睡が出現せず、浅い眠りばかりになってしまう。だから、そのままずっと眠っていると、起きたときの気分は悪く、身体はぐったり、かえって疲れるらしい。

ふむふむ・・・・。

これで、今夜、私はどういう睡眠にすれば良いか分かった。

長すぎない睡眠(5~7時間程度かな?)をとれば良いのだ。

ということで、今日はこれまで。

あれ?もう午前1時だ。眠らなきゃ。

おやすみなさい。深い深い眠りにGO!

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宇宙飛行士恐るべし [研究<医療>]

<注>タイトル変えました。

こんばんは。というか、もう朝5時だから、おはようございます。
眠い。まだ寝ていません。これから少しだけ眠って会社へ行きます。

そんな疲れて体調が崩壊しつつある中で、ニュースを見ていたら、こんな記事が。。。。
NASA女性宇宙飛行士が恋敵の女性に暴行。彼女は飛行機で移動する被害者を車で先回りするべく、オムツを着けノンストップで約1500キロ運転し続けたそうな。 この女性は、宇宙飛行士だ。

確かに、宇宙飛行士でもなければ、オムツをつけて1500キロをノンストップで走るまい。私も最高で500キロを連続で走り続けたことがあるが、1500キロは尋常ではない。また、モノ心がついてからオムツを付けた経験がない。

宇宙飛行士は、宇宙でも普通はオムツをつけないだろうが、あの宇宙服の中に「それ」をためる部分があるから、服を着て「それ」をすることにあまり抵抗はないのかもしれない。いずれにしても、オムツを付けてまでノンストップで走り続け、恋敵を追うという発想、なかなか出来ることではない。

いや、オムツをつけて1500キロもすごいのだが、飛行機で移動する被害者を車で先回りして待ち伏せすると考える人がどこにいるのだろうか。大阪伊丹空港で飛行機に乗った人を、先回りするために高速をぶっとばし、オムツをつけて、羽田空港に行くだろうか。そんなこと考えもしない。想像もしない。

宇宙飛行士は、徹底した訓練により、体力、知力とも強靭なはずだ。だから、恋敵への攻撃、追跡も宇宙レベルだ。発想も宇宙レベルだ。宇宙はスケールがでかい!

そう思った朝でした。

これから会社なんて・・・・信じられない。眠すぎる。休もうかな・・・・

と思ってい私の目にこのニュースが飛び込んできたわけだ。
この宇宙レベルの追跡劇を読み、この程度の睡眠不足でヘコたれるなんて恥ずかしいと感じたので、頑張って会社に行ってみます。宇宙万歳!

それではおやすみなさい・・・って眠ったら大変なことになりそうだ。
でも少し眠ります。zzzz

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