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春、卒業、夢 [日々の雑感]

朝、暖かいので庭へ出てみました。今日は割と暖かかったですね。数日前に雪が降ったとは思えないくらい。春が近づいていますね。大量に植えたチューリップの球根の一つも、こうやって土を「破って」ようやくでてきたものもあります。日陰になりがちな場所に植えたのは、まだ小さいですね。

①

車で、公園へ遊びに行きました。
きれいですね。春がきていますね。

②

今年の花見はどこへ行こうかな。

③

ところで、3月は卒業シーズンですね。
私の場合、大人になってから、ようやく「卒業」という概念について特別な感慨を持つようになりました。

自分自身の幼稚園の卒園式のこと。全く記憶にありません。

小学校の卒業式。先生もみんなも親も、何故こんなに大げさなんだろう、と思いながらもキチンとふるまおうとして行進や歌の練習をしていました。卒業式とはこういうものかと。当日、なぜクラスの子達が泣いているのだろうか。分からない。自分は全く涙が出てくる感覚がない。親が泣いていた理由は分からない。そんな記憶しかありません。

中学校の卒業式。後輩から花束をもらったり、学生服のボタンを下さいといわれたり、ただそれだけが記憶に残っていて、特別な感慨はありませんでした。私は薄情な人間なのかもしれないと。一生懸命に打ち込んだ部活動が、これで一区切りなんだなと。それだけ。高校受験も終わって、しばらく受験勉強から解放されるのかなと。高校はどんなところだろうか。可愛い女の子がクラスメイトで、かつ席が隣だといいなぁ。そういうことばかり考えていました。我ながら情けない。

高校の卒業式。卒業式の後、それぞれの教室へ戻って、担任の先生から一人ひとりに対して感動(?)の卒業証書手渡しのとき、当時、ワルさばかりしていた問題児の私に対して、担任のK先生が、「お前がこれ以上学校にいると迷惑だから卒業させるんだ!」と怒鳴って、泣きながら卒業証書を投げつけたことを覚えています。私の卒業とともに、K先生は教職を辞して実家へ帰り家業(農家)を継ぎました。いまさらですが、K先生、ごめんなさい。今は当時からは想像もできないほど、真面目に生きています。

大学の卒業式。感動はしませんでした。しかし、とうとう自分が社会人になるのだな、という不安と期待がありました。楽しいだけの時代はもう終わるんだなと。謝恩会で、お世話になったゼミの先生から言われた一言が鮮明に記憶に残っています。

私からの一言。「夢なんかいりません。現実と理想のギャップをしっかり見据える目と、空理空論に騙されない頭と、ビジネス界の先人たちの声を聞ける耳と、他人を説得する口がほしい」などと青臭いことを言うと、それに対して、先生が、「とにかく君に持ってほしいもの、それは夢だ」とおっしゃいました。それはよく覚えています。先生、未だに壮大な夢は持っておらず、たくさんのささやかな夢、というか希望、というか目標だけしか持っていません。毎日毎日、7割方は意味があるのかないのか分からない仕事に追われる日々です。でも最近になって、夢を持ちたいと思うようになりました。少し成長したのでしょうか。それとも現実逃避でしょうか。おそらく我が子をみていてそう思うようになったのでしょうね。

子を持つ身になって、卒園や卒業は、ついに感慨深い行事となりました。幼稚園の卒園なんて、自分は殆ど何も記憶がないにもかかわらず、来週行われる長女の卒園式は、想像しただけで泣きそうです。なぜなのでしょうか。本人も、私が感じるような「意味」は、長女本人は、おそらく自覚していないでしょうね。この気持ちをどう伝えたらよいか。いずれ分かるものか。

3月になると、よくそんなことを考えます。
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