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パスワード地獄 [日々の雑感]

パスワードは大切だ。そんなことは、みんな分かっている。

いまどき、フリーでパスワード解読ソフトが出回っている(4桁程度のパスワードなら数秒で解読できるかな)ほどだから、パスワードには細心の注意を払わなければならない。そんなことも分かっている。

だが。しかし。。。。
いくらなんでも、覚えるべきIDとパスワードが多過ぎる!しかも定期的に変更せよ、簡単に推測できないようなものにせよ、となれば、これがまた大変だ。

銀行ATMのパスワード。なぜか今も4桁。不思議だ。
パソコンへログインするためだけのパスワードが、家庭用PCカら職場用PCまで数多くある。パソコン自体へログインした後も、延々とIDとパスワード入力が続く・・・しかも、最近は、So-netみたいにIDも覚えにくいものになってしまって・・・
So-netのログイン用パスワード、
ツイッターとか利用している人はそのパスワード!
職場では、用途毎に10種類近いIDとパスワードあり!
銀行のATMのパスワードがあるが、ネットで残高照会を行うためには、別の長いパスワードが必要だ!
ネットでの住宅ローンの残高を照会するにもパスワードが必要だ!
携帯でレストラン予約サイトへログインするにもパスワードが必要だ!
スポーツジムのネット予約もパスワードが必要!
電気料金確認サイトへのログインにもパスワード!
車の会社の問い合わせ用ページへのログインパスワードが必要!
クレジットカード会社毎に、支払額確認用ページへのログインにパスワードが必要!

まだまだある

航空会社のネット予約のためのパスワード
携帯会社の設定変更用ページのパスワード
iPhoneの操作用パスワード
アップルIDのパスワード
ネットショッピング(アマゾンとか)のパスワード
TSUTAYAカードのポイントを確かめるためYahooIDのパスワード
ポータブルWi-Fiのログインパスワード
空港等のWi-Fiのログインパスワード

あーーーーーーーーーーーーーーーーー
全く、数えだしたらきりがない
しかもワンタイムパスワードなんて「おいおい!」だ。

それでいて、「パスワードは定期的に変更することをお勧めします」とか「推測し易いパスワードにしないように」などと注意される。

だがおい!しかし!20個も30個ものIDとパスワードの組み合わせを全部覚えていて、かつ、例えば1ヶ月毎にパスワードを変えて、それを覚えているなんてムリだよ!

そうするとこうなる。
1.全部パソコンに覚えさせておく(→危険)
2.可能なら全部同じIDとパスワードにしてしまう(→危険)。
3.紙に書いて分かり易いところに置いておく(→危険)。
4.推測し易いものにする(→危険)
5.少なくともネットから離れて暮らす(→棄権)。

みなさんは、一体、数多くのパスワードをどうやって管理しているのでしょうか?
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財布が太り過ぎ… [日々の雑感]

・・・といっても、お金で太っているのではない。

カード類が多過ぎるのだ。あまりにも多い。

複数のキャッシュカードやクレジットカードがある。さらに、ANA、JAL、ルフトハンザ等々のマーレージカード、ヨドバシやヤマダ電気、コンビニなどのポイントカード、ツタヤのTカード、スポーツジムの会員証、近所にあるいくつかのスーパーのポイントカード、マツモトキヨシなどの薬局のポイントカードが数枚、回転寿司やスポーツ用品店のポイントカード、小児科、内科、歯科などなどの各種診察券、免許証、健康保険証・・・・・・

そうだ、俺の財布はカード、カード、カード、カード、カード・・・なのだ。肝心のお札や小銭は殆どないのに、俺の財布はとても太っている。

みんなは、これらの多数のカードをどうしているのだろうか?
持ち歩いているのだろうか?

一度、厚めの定期入れに全部入れてみようとしたのだが、パンパンになって入りきらなかった。もちろん、いらないものは捨てるなり、家に置いておくなりすればいいのだが、例えば、ある日突然、オートバックスで買い物をすることとなったとき、あ・・・オートバックスのポイントカードがない・・・損した気分だ・・・・とならないために、ついつい全部持っているわけである。

ポイントカードのポイント自体は、店ごとに別管理するとしても、カードは統一化できないのか?ポイント集中管理システムの構築はできないのか?

できないだろうね。顧客情報だから。

ま、夢のまた夢なんだろうね・・・。

したがって、私の財布が痩せる日は遠い。
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最近の年賀状 [日々の雑感]

最近の年賀状には、いくつか困ったことがあります。

一つは、私の氏名のうち一文字を間違った漢字にしている人が何人かいることです。そんなことは時々起きることで、いちいち気にする程のことでもないかもしれませんが、最近の年賀状は、パソコンに登録されているため、それとなく注意しても、その時にデータベースを変えてくれる人でないと、毎年毎年同じ間違いが繰り返されて送られてきてしまう。まあ名前に間違いがないかを確認しないような人には、もう出さないという選択肢もあるのですが、お世話になっている相手である場合にはそうもいかないから面倒だ。

もう一つは、「余りに疎遠な人には、もうそろそろ年賀状を出さなくていいかな」と思って出さずにいても、相手から毎年確実に送られてくることです。しかも、裏面も印刷された絵柄と文字だけで、手書きの挨拶も何もない。受け取ると、こちらも出さないと失礼かな(特に相手が目上だったりすると)などと考えてしまう。あまりに疎遠なため、手書きで書き加える一言すら思い浮かばないから面倒だ。

この二つの共通点は、パソコンを使って、年賀状の宛名書きなどがきわめて便利にできるようになったことと裏腹なんだろうと思う。便利だからと言って、データベースに登録されている相手に、安易に、機械的に、毎年同じように出し続けるのも考えものだ。たまには住所や氏名の漢字が間違っていないか確認してほしいものだ。

そのうち、自分の手書きメッセージを統一化して、「本年がより良い一年でありますように」などと手書きした字を「図」としてスキャナーで読み取って、手書きメッセージを一気に100枚に印刷する輩も出てくるだろう。

将来、葉書の年賀状が衰退する日は来るだろうが、すぐにはなくならない。インターネットが普及し始めた頃から、「いずれ葉書の年賀状はなくなってしまう」と言っている人もいたけれども、まだまだ葉書は健在のようだ。暑中見舞いもクリスマスカードも然りである。次世代である我が娘達も、年末にかけて必死に書いていた。

だからせめて、手書きメッセージが思いつかない相手には、送らないようにしてはどうか?データベースから削除してはどうか?と思いながら、今日来た年賀状をみながら、削除したデータを再入力しているのは私でした。
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久しぶりなわけ [日々の雑感]

かつてブログを書いていたのは2011年頃まででした。2012年にテキトーな記事を1回書いただけだから、殆ど3年も何も書いていませんでした。もちろん、その間、自分のページを閲覧することも殆どありませんでした。殆どブログから離脱してしまった生活であったわけです。

しかし、昨日、お酒の勢いもあって(というか、殆ど飲み過ぎたお酒の勢いだけで)、唐突に書いてみた(ようです)。今朝起きて「昨夜、俺はブログを書いたような気がするが一体何を?」という恐怖に駆られ——「恐怖」とは、俺は昨夜の記憶が曖昧だ!酔った勢いで「暴走記事」を書いていないだろうか!?まさか仕事の話や他人を誹謗中傷するようなことを書いていないだろうか!?もしそうなら・・・。という恐怖である——改めて読んだ次第です。

記事を読み、おぼろげな記憶は蘇ってきたのですが、かなり酔っていたらしいことが分かり愕然としています。記事自体は、たいした内容ではなく、暴走はしていなかったようなので少し安心しましたが、いつの間にか、飲むと記憶が曖昧になる習性が強まっていることを改めて痛感する今日この頃です。

気をつけないと、お酒は間違いのもとです。

実は、自分のこの習性があるからこそ、私はブログから離脱していたのです。

私は、ブログを書くにあたり、
(1)お酒の勢いでは書かない
(2)家族の(顔が判別できる)写真は掲載しない
(3)仕事の話は一切しない
(4)他人のことをあれこれ書かない
(5)政治や宗教のことは書かない
というルールを自分に課していたのですが、その中でも一番大事なのは「酔った時には書いてはいけない」ということです。仕事柄、お酒を飲む機会が多かったので(え?本当に「仕事柄」?仕事のせいなの?)、それがブログから離脱していた本当の理由なわけです。

しかし、それにもかかわらず、昨夜、「酔った勢いで書いてしまう」という事象が発生したわけで、それにどう歯止めをかけるのかを改めて考えなければならないことがわかりました。まあ、アカウントを削除してしまえば良いのですが、それは最後の手段。とりあえず、パソコンのディスプレイの隅にでも、「酔ったら書くな、書くなら飲むな」とでも紙に書いてはっておくことにします。

ところで、私はSo-netに2つのブログ・アカウントを持っているのですが、昨日は、なぜか、2つのアカウントに全く同じ記事を掲載していました。なぜ自分がそうしたのか推測すると(覚えていないのです)、おそらくメインのブログに書いているつもりだったのにもかかわらず、メインではない方のアカウントに記事を書いてしまったことが分かり、ああ違うんだよな、ということで、それをメインのブログへそのままコピペしたのだろうと思います。しかし、記憶がない行為の足跡を推測を重ねて辿ることは恐ろしい・・・。

あれ?そういえば、どなたかのブログ記事にコメントも書いた気がします・・・。ああそうだ!コメントは書いた!何だったっけ???探さなければ・・・。探さなければ・・・。

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健康とか予防接種とか [日々の雑感]

も立ち寄るものはいないかもしれないほど、何年も更新していなかったブログですが、それでも偶然に立ち寄った人たちへ。あけましておめでとうございます。
昨日、地元の神社へ初詣に行ってきました。その神社付近は大渋滞が予想されたので電車で行きました。それにしても寒かったー!! ものすごく寒かった。あまりに寒くて、神社まで行く道すがら、暖かい甘酒を2杯も飲んでしまった。甘酒は身体に良さそうだし——その甘酒の店の看板には「甘酒は飲む点滴」と書いてあった。別の店先には、「飲む抗生物質」といあった。誇大広告ではないか?と思いつついずれにしても身体にいい(かもしれない)ということだな、という感覚もあって——飲んでみたわけだ。実際、身体はかなり暖まった。ありがとうございます。

「身体に良い」といえば、最近気になっているのがインフルの予防接種である。この予防接種は本当に意味があるのだろうか?ということである。
「極度の予防接種教信者」の人は、「予防接種をすればインフルエンザには罹患しないし、それは翌年に予防接種するまで効果が持続する」と信じているらしい。しかし、それはいくらなんでも間違っている。解説する必要もない。
「軽い予防接種教信者」の人は、「予防接種をしてもインフルには感染することがあるが、高熱を発するなどの“ひどい症状”になることはなく、例えば、体温が38度台で収まる」のだそうだ。しかし、それは違う。正確に言えば「症状が軽くなることがある」のであって、「必ず症状が軽くなるわけではない」のだ。

面倒だから頻度主義確率が正しいかどうかなんて議論はさておくが、一応、俗に言う「罹患確率」とやら(ただし頻度主義確率)は、予防接種をすれば低下するかもしれないことを示唆している(らしい)。だが、予防接種をすると、罹患する「確率」が低下するだけであって、非常にゼロに近いところまで確率が低下するわけでなない。

人間は、とかく、確率なるものを「ゼロ」か「1」(あるいは100%)のどちらかだ!と判断をしがちなので、これ以上あれこれ言ってみても殆ど実生活には役に立たない。

おまけに、この「確率」とやらは、頻度主義者が「実証できた」と主張する人たちだけの見解だ。だから厄介だ。過去のデータで得られた発生頻度が、将来もまず同じだろう(強定常性または弱定常性を仮定)すること自体が、大きな前提、つまり過去におきたことは、きっと将来も同じ頻度で起きるに違いないという信念、宗教のもとで確立された、頻度主義者による「確率」の概念なのだ。いずれにしても、ワクチンだの「予防」だのと売り込んでみても、やられるときはやられる、やられたときは薬でおさめる、ということであれば、予防接種は不要とも言える。

今後やってほしいことは、毎年毎年、インフルの予防接種をした人と、しなかった人の罹患率の比較をテレビも使って説明し、「それでもインフルの予防接種をしたい人はどうぞ。でも、この程度の効果しかないなら必要ないと判断した人は、しないでもいいと思います」という、個人個人のリスクへの対応の判断を強く求めるのがいいだろう。「もし罹患した場合には、こういう対処法になります」ということも説明する必要もあるけどね。

なんで正月早々こんな話をするかといえば、我が娘が予防接種をしたにもかかわらずインフルに罹患し、40度程度の高熱を発したからだ(もう回復しているが)。そして本日飲み過ぎているからだ。

予防という名の下に、本当に意味があることと、実は意味がないけど慣性の法則のような効果が働いて伝統的に漫然とやっていることがあるかもしれない。もちろん、それらが何らかの「既得権益化」された事象ではないことを祈る。詳しい人がいれば、そういうことももう一度考えて説明してほしい。結局、俺たち素人には良く分からないのだから。

新年早々変な話になってしまったが、本年もどうぞよろしくお願いします。

おやすみなさい(今日は飲み過ぎました)
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2014年末 [日々の雑感]

とうとう2014年も終わりだ。
今年も小さな出来事がいろいろとあった。
2年振りにこのブログに戻ってきたが、今年の小さな変化をメモ代わりに書いてみよう。
まず、ウインドウズから離脱してMACにした。OSはぎりぎりまでXPで頑張っていたのだが、動かなくなったり、挙動がおかしくなったので、買い替えることにした。さんざん悩んだが、巨大な筐体であったDELLのdimensionとおさらばし、巨大だがスリムな画面のMACにした。操作性は、まあ最初は慣れが必要だが、慣れてしまえば特にストレスはなく、ウインドウズよりむしろ楽だ。携帯がiPhoneで、iPadも使っているので、とくに違和感もない。
また、我が家に犬がやってきたのは、小さな変化というより、大きな変化だ。かなり小さいトイ・プードルである。私の言うことはあまり聞かないが(それは我が娘達も全く同じだが)、散歩に誘ったり、エサを調理していると従順さをアピールする律儀な子だ。もう成犬になったのだが体重は僅か1.5キロ程度と小柄だ。今日は公園でひたすら遊んで、今は紅白を観ながらリビングを走り回っている。夜型だね。誰に似たのやら。
レクサスを売ってしまったことの小さな出来事ではなく、大きな出来事だ。IS250は、文字通り「愛車」であった。8年以上も乗った。故障一つなく、極めて良くできた車であった。8年で8万キロ走った。本当にあちこちへ行った思い出深い車だ。お礼を言いたい。レクサスの新型も検討したのがが、唐突に欧州車に乗ることになった。その話はまたの機会に。
とあれこれ書き出してみると、それなりに変化はおきている。書き出すときりがない。しかも、今、呼ばれたからリビングへ戻ることになった。
ではまた。
良いお年を


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スピンドルグリル [日々の雑感]

レクサスから手紙が来た。新しいLSが出たそうだ。私には到底買うことはできない代物だが、LSに限って言うと、スピンドルグリルよりも、今までの顔で良かった気がする。とはいうものの、ブランドイメージを統一する、という観点からは、これでいいのだろう。CT、GS、RXそしてLSという具合にスピンドルグリオルになった。あとはISか?

我がISも健在だ。それなりの年数乗っているのにも関わらず、全くブレることなく、おかしくなることもなく、しっかりと走っている。これがレクサスなんだなと思わせるのだ。

いずれ犬を飼う予定なのだが、そうなると、大きい車が必要なのでRXにしようなかと思っている。そして、今度はハイブリッドにしたいと思っている。ただ、今のRXは、スピンドルグリルになったので顔が随分とよくなったのだが、後姿が今一つな感じがして(ハリヤーの匂いがぷんぷんしている)、どうも踏ん切りがつかない。そして、車を買う金もないわけだが。残念ながら。

ということで、とらぬ狸の皮算用であった。
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久しぶり&異変 [日々の雑感]

本当にどれだけご無沙汰していたことだろうか。ブログという言葉さえ忘れそうなほど長らく記事を書かなかった。言い訳をすれば、いろいろ書こうと思っていた矢先に3.11が起きて、あれこれ考えさせられることが多々あったとも言えなくもないが、要するに忙しくて面倒だったから書かなかったというだけなのです。

地震や津波、放射能あるいは放射性物質に関する話しは、またいずれということで(テーマが重いし)、とにかく今日は、夜中3時に目が覚めてしまったので、暇つぶしに書きますよ。

とにかく、今日言いたいことは、だいぶ前に買って持っていた「魚のえさ」には気をつけろ!ということです。というのも、数日前、我が家のある部屋が大変なことになっていることが分かりました。随分前にグッピーを飼っていたときに持っていたエサが発見されたのです。そのこと自体は大したことではありません。問題は、そのエサの状態です。

そのエサの入れ物の蓋を開けたら、それはもうエサではなくなっていたのです!
それはダニの大群の塊、群れと化していたのです。

ダニというのは、非常に多くの種類があり、ダニアレルギーで喘息になる私としては語りたいことも多いのですが、とにかく、小さな小さな点々が大量にあるなあ、カビかなぁ・・・と良く見たら動いていた。そう、タンスの木目が動いているように見えるが錯覚かな?と思って近づいて良く見たらダニの大群だった、という私の小学生時代の経験と同じようなことが起きたのです。これはいけません。喘息必至です。彼らダニにとっては、最高の空間だったのでしょう。魚のエサの入れ物中なんて、エサしかないですから。

そのエサの処分、周囲に徘徊しているかもしれないダニ達の処分などでどれほど気の遠くなるような時間が過ぎたことでしょう。彼らも生きているのですが、私は彼らと共生できませんから、殺生をせざるをえません。徹底的に。

ということで、エサ類は要注意ということでした。随分と久しぶりの記事である割には下らない記事で失礼しました。
ではまた
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レクサス CT200h [日々の雑感]

出ましたね。CT200h。

私は、まだ乗っていませんが、いいと思う。それが写真だけみた第一印象です。

是非試乗してみたいところです。

次はハイブリッドにしたいと思っているのですが、ISより大きめにするか、小さい車にするか。小さい車なら、CTがいいかな。あくまで見た目の話しですが。顔は、若干、TOYOTAの香りがしますが(ある意味では当たり前)気になりませんでした。格好良くなっていると思います。

売れるでしょうか・・・・
景気悪いし。いまは、日本に登録されている自家用車の半分以上が軽だという噂を聞いたこともあります。
なかなか数百万円の車は売れないですね。不景気だし。

今度、試乗したら報告します。

ではまた
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相変わらず [日々の雑感]

相変わらず、私が書いた記事の中では、圧倒的に宝くじのネタ記事のヒットが高水準で続いている。それ以外は普通だが。どうも宝くじというものは、やはり人の心を揺さぶっているようだ。そりゃそうだ。普通に働いていたのでは手に入らない規模のお金が手に入るかもしれないのだから。しかも、不思議なことに、一等は1000万分の1なのに、多くの人はきっと100分の1程度に思っているのではないかなぁ。射幸心を煽るってことは、そういうことなんだろうね。実際よりも高い確率があるような感覚を芽生えさせてしまうようなもの。税金よりも性質がわるいねえ。

宝くじは、ダメですよ。あきらめましょう。みなが買うのをやめれば、きっと財源確保のために、さらなる見直しがされるでしょう。最大のポイントは、期待値の引き上げですね。ま、それでも負け戦になるのですが。10億円というのが出れば、きっと買う人は増えるでしょう。今時3億円では、高級住宅地に40坪の土地と家屋を飼って終わりです。ベンツだのベントレーだのは変えるかもしれませんが、老後のことまで考えれば。3億円でうはうはしていられないのです。

老後、年間400万円の余裕ある生活をしたいと考えたとしましょう。10年生きるなら4000万円です。20年生きたら8000万円のお金が必要なのです。何歳まで生きるか分かりませんが、普通の人が定年退職して、65歳、さらには70歳まで年金が出なくなったと考えましょう。それまでどうやって暮らしますか? 年400万円が10年ですよ。それだけで4000万円。70歳から15年生きてみて下さい。年間生活費を300万円に抑えても3000万円。これらをあわせて7000万円ですよ。これに対して年金は???? 結局いくらもらえるかはまだ断定できません。

さて今既にあなたは住宅ローンを抱えているとしましょう。いくらですか?
2千万円?
3千万円?
それを退職金で期限前返済しようなんて思っていいたら、その時点で貯金が底をつきますよ。そうすると、その後の7000万円はどうやって?

ええい!と。
武士は食わねど高楊枝。
それでよし。

考える程に、生活は苦しいことを想像せざるをえなくなりますね。
そんなときに自分を救ってくれるかのような言葉。

なんとかなるさ。

このブログのタイトルである、一休さんの言葉。
大丈夫、心配するな 何とかなる。

そりゃそうだけど、どうにもならないこともあるのですよ。
人生は厳しいねぇ。 

いや、大丈夫。宝くじを「ちゃんと」買っているから。
そう大丈夫

宝くじを買おう・・・・・・・ということになっているのかな・。

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